コーノリアス式絵画

コーノリアス蟻蛾(ギーガー)による、落書きが自己主張するブログ。蟻蛾党(ありがとう)、落書き戯画クラ、コーノリアス式開眼法…と、まずブログのネーミングから迷走中。

らくがき、似顔絵、相変わらず。

飽きもせず、らくがきをしている。

飽きてるんでしょと言われて当然なほど十分な間が空いているのも確か。


ブルゾンちえみ

友人に教えてもらった翌日にはもう書かずにはいられなくなった。

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・びんぼっちゃま

訳あってそういう電波が脳内に語りかけてきた。テレビを介して。

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・がっきー

今日、会社の営業さんが画像を送りつけてきて頭から離れなくなった。


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・勇者ヨシヒコ

何となくハッピーな感じでやり過ごしたい。

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ムズムズした記憶を、書き出しながらこじんまりと小さくスッキリする。そんな日々を過ごしています。


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仏はほっといてくれない。

似顔絵の羅列

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「ラインスタンプのように画像でリアクションしよう」と思いたってらくがきすることが時々あります。言葉にすればすぐだけど、少し濁したいからかも知れません。

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リアクションにかこつけて、「分かる?似てない?」と聞いてみたくなるからかも知れません。

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リアクションしてると見せかけてからの、相手にリアクションを強要する邪悪な行為なのかも知れません。

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ここまで来ると見事にかまってちゃんだなという自覚もあるにはあるのですが、ついついやってしまうのです。

言葉に言葉で返さないというのは一見ものぐさでありながら、「そっちの方が手間でしょうに」と思わせる『ゴリ押しのボケ行為』と言えます。

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スタンプとは、単に手間を省く手段とは違いますよね。空気を読ませる?作ろうとする要素が濃い気がします。

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これは世界中のアンディが、僕の友人アンディをお祝いしている空気を作ろうとしたものです。

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生あたたかく見守ってくれる仲間。

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滑っても笑い飛ばしてくれる絵がさらに滑ってくれる。

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ときにはクールに相手を讃える。

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そんな僕を、これからも見守ってください。

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似顔絵をスタンプに使ったりします。

似顔絵は息抜きにやるのが一番。

思い切りハードルを下げて落書きとして描くのです。


対象が同僚であったりすると、フィードバックも得られます。


内輪のLINEグループでスタンプがわりに使ったりします。

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そうですか。

あまり乗れない話ですか。。。


……


みたく使います。

とりあえず、だいたい初めはみんな

「…誰?」

ときいてきますが、そこは勿体ぶらずに「営業の○○さん」と答えましょう。似てなくてもいいのです。

わざわざ描いたんだ的な押し売り感に周囲は気後れして非難し辛い雰囲気を味方につけ、共有してしまえばもうこっちのもの。


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「やめてホンマにやめて‼︎」


みなさんまあ内心そんなとこかと思いますよ、ええ。



決戦は金曜日の新宿

僕は深夜のバスタ新宿に用があって、それまでの時間を埋めるのに「誰か暇な人いない?」と持ちかけてきてたホビヲ氏と一戦交えることになった。

 

その様子は彼の記事で一目瞭然。

 

以下はそこに至るまでの経緯、つまり蛇足です。

 

初戦は待ち合わせ勝負。予定時間より10分ほど遅れる見通しのホビヲ氏。

僕に有利かと思われたがその時僕は「もうちょっとで会社出れるかな」状態。30分引き延ばす。

「新宿なう」「待たせてごめんなう」みたいな駆け引きを繰り返し、ついにはホビヲ氏に「おなかへったー!」と言わしめる。

そして指定してもらったはずの待ち合わせ場所が理解できていない自分。勝敗定かでない中の再会。

 

二回戦はラーメン二郎歌舞伎町店。ホビヲ氏が「大盛り食べるの?」とジャブ。一瞬、「いつも大盛り食べてたっけな」という錯覚におちいる。ただ錯覚かどうか自信がない。不安すらおぼえる。念のため普通ラーメンのチャーシュー多めにとどめる。彼もまた同じチョイス。これでスタートはフェアだ。

いよいよトッピング。「ヤサイマシマシ+アブラマシマシ」という気持ちを込めて「ヤサイ・アブラのマシマシ」とオーダー。頼む、伝わってくれ、「ヤサイマシ、アブラマシマシ」とは違うんだ。

そんな僕のドキドキを尻目に「ヤサイアブラマシで」とクールに言い放つホビヲ氏。

さらに「このブログ記事、結構読まれてるんだよ」と年齢のやつを見せにスマホを机に置いてくるあたり、かなり余裕だ。しかし二郎はトッピング聞かれたらもう一瞬なのだ。そこから小心者の僕は、寡黙に一心不乱に食べることに集中しないといけないのではないかオーラの漂う店内にとらわれてしまうのだ。急げ、かきこめ、飲み干せ。

ふと隣を見ると、すでにホビヲ氏はごちそうさ間際。

勝負あったな。そう感じながら、先に席を立つ彼を見送る。

いくばくもなく僕も食べ終え、軒先で待つ彼の元へ行く。そして彼の一言。「チャーシューしないでその分ヤサイマシマシにしとけばよかったかな」なにかが渋い。自らのチョイスへの冷静な自己分析、飽くなき探求心。

完敗だ。

完敗ついでに当初の目的である、喫茶店で乾杯をするためにルノアールに行くのでした。

 

その続きの最終決戦が、初めに紹介したホビヲ氏の記事です。

 

 

 

記号化を楽しむ作業

萌え系イラストについて調べたり思いを巡らせたりするうちに、長年の疑問のひとつ「前髪に隠れないまゆげ」についての答えに辿りつく。

http://moetatsu.com/seal


「なぜ隠して描かないのだろう」という疑問は、決して謎に満ちた疑問ではない。現にその解答と言えそうな理由はいくつか思いつきもした。しかし上記のサイトから得た答えは何よりポジティブなものだった。

自分の前髪の曇りがスーッと透けて眉毛が見えてくるようにスッキリしたのだ。


「キャラクター表現のため」

だ。


これは「虚構世界の中であっても真実に重きを置け」というテーマのいち方法論なのだ。


僕はこれまで落書きの大半を「前髪に隠れた眉毛は描かないこと」に徹してきた(かも)。しかしそれは写実的発想や職業病的都合(??)に準じた選択で、眉毛を描くこと自体をもう一つの選択肢とすら考えていなかったのだ。


萌えイラストは記号的にかなり要点が押さえられている。「これさえ押さえておけばかなり万人ウケ」などという萌えはないとしてもだ。


ここでひとつ、本日のラクガキを掲載したい。

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…お分かりいただけただろうか。

前髪に眉毛が隠れた絵である。おかげでアンニュイな表情なのかただ柔らかな表情か、はたまた哀しみをこらえているのか、決定打のない印象を持ちはしないだろうか?


こういう感じもやっぱり好きです。


これは、情報を持ってないことと情報が隠されていることが似ているということなのですが、わかりやすさが重要なイラストやマンガの世界でも「分かりにくい状態」を端的に表現できる方法ということで、十分に記号的と言えます。


だから今となってようやくこれが(技術的価値観を超えて、)自分の好みなのだと自覚できた気がする。